『大迫』 方面の看板に従い、山道を抜け、真っ直ぐ行くと、『T 路地』 の道に行き着きます。そこから海の道が始まる訳ですが、その 『T 路地』 を右に曲がって下さい。ほどなく、写真のような美しい海岸線が始まります。

途中、クネクネと曲がる道や、大きなL字クランクのような道にも出くわしますが、基本的に 『大迫』 の集落に入るまで、この海外線の道を永遠に進んで行きます。


少し走ると、美しい海に、半分沈んだ、石の古い桟橋に遭遇します。(赤い丸部分)

ここは、第二次世界大戦中の 『特殊潜航艇基地』 の跡です・・・


『大迫』 の集落に入ると、ボチボチと家が出てきますが、その間を真っ直ぐに抜けて行くと、これまた 『T 字路』 に行き着きます。そこは 『防波堤』 になっており、その先には海が広がります。

ここで、始めて 『旧海軍遺跡』 の 『看板』 が出て来ます・・・(赤い丸部参照)

『看板』 とはいえ、かなり簡単なモノで、ベニア + 角棒の上に、PCでプリントアウトした紙が貼ってある程度です。
超簡素ですが、手作りの感じが伺えて、大変に共感出来るモノです。
この看板を左に行って下さい。


坂を登り始めると、最初のうちは右手に美しい瀬戸内の景色が広がります。本当にキレイなので、絶好の撮影ポイントです。


山の中を少し走ると、ご覧のように左に折れる道に遭遇します。ここにも、例の 『手作り看板』 があるので、すぐに分かると思います。左折してほどなく、『この先 方向転換出来ません』 の看板が目に入ります。

道は狭く、超が付く位、下り急勾配になっています ! もし、軽自動車でここまで頑張って来た方も、この左折する手前で、車を降りて歩いて行かれる事をオススメします。また、この先は 『私有地』 もあったりしますので、慎重かつ大人な行動をお願いします。あたり前の事ですが、タバコを出して一服なんてバカは、最初から来る資格はありません !


こちらがその細い道です。と、言うより、溝のようでもあります (苦笑)。顔に草が当たり、かなり不快な感じです。

この時、時刻は午後4時頃、辺りには誰もいません、静寂そのモノ・・・少し日が傾いて来て、焦る気持ちを抑えるかのように、早足で歩いて行きました。


MAPばかりで、味気が無いので、いつものように、景色の写真もご覧頂きたいと思います。

この景色は 『MAP-9』 の部分で左折せず、真っ直ぐに走り続けると、2〜3分で行き止まりになるのですが、そこで撮影したモノです。

少し丘になっていて、遠くの島まで見渡せます。まわり は『みかんの木』 だらけですが、食べたりしないように (笑) 。


実は今回、もの凄く道に迷いました。丁寧に道順をご案内出来るのも、迷いに迷った挙句の賜物です (苦笑 )。

『大迫』 まで来て、場所が分からず、途方に暮れていたら、地元の方が、この 『自販機のあるお店』 で聞いたらイイと、教えて下さいました。

中にいらっしゃったおじさんは、大変に親切な方で、『水戸黄門』 をご覧になっているのを止めて、丁寧な地図まで書いて下さいました。本当に感謝しております。

『試射場』 に行く際は、『大迫』 のこのお店の自動販売機で、飲み物を買うように推奨させて頂きます !


近の 『戦艦大和』 のブームは、僕のような 『大和誕生の地』 に生まれ育った者からすれば、嬉しい限りです。もはやブームを超え、日本人の心の中に定着した感のある 『大和』 ですが、実は 『呉市近郊』 には、この 『大和』 にまつわる 『史跡』 や 『第二次世界大戦中』 の 『史跡』 が多数、残っており、60年以上経過した今日でも、それらを目にする事が出来ます。それらはまるで、戦争中 『最大の軍港』 だった 『呉市』 の光と影を、今持って明確に映し出してくれます。先人達の偉業がセピア色に変わる前に 『呉市』に生まれ育った者として、それらを見ておく必要があると思います。

今回、ご紹介する地は 『大和』 の46センチ主砲の発射実験を行ったとされる 『倉橋島』 は 『大迫地区』 の 『亀ヶ首』 にある、その名も 『亀ヶ首旧海軍工廠大砲試射場跡』 です。相棒は 『VSHカスタム』 の 『ET3』 です。お客様への納品を控え、最終調整を兼ねた 『史跡巡り』 となりました。

今回訪れた 『亀ヶ首』 と 『VSH』 がある 『呉市中心部』 との位置関係をご覧下さい。予想以上に遠く、『VESPA』 で2時間程度かかります。『倉橋島』 に入ると 『海水浴場』 で有名な 『桂が浜』 を過ぎ、走る事、10分くらいで、左の山の手方向に向いて 『大迫 (おおさこ) 』 と書いてある看板が出て来ます。

そこは、二手に分かれる道になっており、地図の案内に沿って、左の山の手方向に向いて坂を登って行きます。真っ直ぐ行くとそのまま海沿いの道を走る事になりますから、NGです ! 注意して下さい。

さて、『倉橋島』 は好きな場所なので、何度も行った事があり、多少、土地勘があるつもりでしたが、今回行く 『大迫方面』 は、実は初めてなのです。本音を言いますと、 簡単に到着するだろうと 『高を括って』 いましたが、この判断が大間違い ! 予想以上に 『遠く』、『険しく』、そして 『道に迷う』 ほどの難しさ・・・ まぁ、普通に考えて見ても、『旧海軍工廠』 の 『試射場』 が簡単に目に止まる、行き易い場所にあるハズもなく、軽装で来た自分を反省する事しかり・・・

そんな感じの場所なので、参考になるかどうかは ? 分かりませんが、左右の写真に、番号 ( = MAP-XX) を書いています。この順番の景色どおりに行けば、簡単 ? に 『亀が首』 に到着する・・・ハズです。お役に立てれば幸いです。


『特殊潜航艇基地 大浦突撃隊 大迫支隊跡碑』
『MAP-3』 の場所には石碑が建立 (こんりゅう) されています。ここは、第二次世界大戦中 『特殊潜航艇基地』 だった場所です。『人間魚雷』 ではありませんが、その前進のような部隊で、かなりアグレッシヴな攻撃を目的として編成されました。実は、この対岸の 『大浦崎 海岸』 にも、同じ経緯の 『特殊潜航艇基地』 が編成され、『大浦崎はP基地』、ここ 『大迫はQ基地』 と言う名称で呼ばれていました。

終戦まで、双方の基地には、2,600人余りの隊員が受講したそうですが、その中の439人の方が戦死されています。尚、『戦死』 された方の 『慰霊碑』 は、この 『倉橋島』 に来る途中の 『音戸町 波多見』 にある 『八幡山神社』 に建立されております。海の見える素敵な場所で、僕の好きな神社のひとつでもあります。

『大迫』 へと向かう海岸線はお世辞抜きに、美しい景色が続きます。途中、『特殊潜航艇基地』 の跡では、しばし合掌・・・

実は、僕の祖父は 『大和』 の製作に携わった人で、当時、戦争で徴兵される事はなく、『技術屋』 として 『呉の海軍工廠』 で働いていました。その為、子供の頃から、呉は、『長門』 や 『大和』 等、世界に誇れる戦艦を造った場所だと言う事を聞かされており、誇りのような物がありました。ただ、今回、始めて 『特殊潜航艇』 や 『人間魚雷』 のプロト品まで製作していた言う事を知り、少なからず、ショックを受けました。

『戦争はキレイ事ではない・・・』 今さらながら痛感させられました。でも人間は争いを止めません・・・特に、ポルノと牛肉が大好きなアメリカ人は、60年前も、そして今も、同じ事を繰り返しています。考えると、凹みますね・・・

『桟橋跡』
戦争中の物を、今だにこうして目にする事が出来るのは、不思議な気持ちになります。60年以上も前、ここで訓練を受けた10代の若者達は、このキレイで穏やかな海を見て、何を思ったのでしょうか ? 今、僕達が平和ボケしていられるのも、彼らのような、愛国心とプライドのある先人達のおかけだと思います。

ところで 『戦争の史跡』 を 『見学』 しに行く訳ですから、心の準備はしていたモノの、思った以上に、『特殊訓練基地』 の跡地では、色々と考えさせられました。確かに食べる為にお金は必要だし、お金があれば趣味にゆとりが出ます。イイ服を着て、イイ車に乗って、キレイなお姉ちゃんをハベらせて・・・ (例えが貧相でゴメンなさい) と、誰もが、自分なりの人生を、バージョンアップして行きます。でも、根本的に、平和でないと、全てが “オジャン” です。ごく当たり前の事を書いて申し訳ないです・・・ 
僕一人が、平和がどうのこうのと言っても、何の説得力も無いですが、ガラにも無く、『VESPA』 で風を切りながら、平和の有難さを痛感した瞬間でした・・・

さて、ここからが最後の難関・・・実は来る途中、(MAP-1の付近) 地元の方に道を聞いた際、『トンネルには腰まで水が溜まっていて、なかなか通れんよ・・・』 と教えられました。さらにその方は 『まぁ、今は雨があまり降らない時期だから、水かさは減っているかも ? しれないけど、それでも、長靴が無いと無理でぇ〜・・・』 と言っておられました。

僕は 『試射場なのにトンネル ? 』 ってあまり理解が出来ないまま、ここまで来ました。ですが、この様子を見て、初めて地元の方が言われた意味を知る事になりました。
『MAP-13』 の写真を見て頂ければお分かり頂けると思いますが、トンネルの入り口付近まで、水が溜まっています。驚きでしょ ! 白い放置車輌の横の、黒い部分は全て水です !

恐る恐る、トンネル内を覗き込んで、僕は言葉を失いました・・・思った以上にトンネルは長く、水は深そうです。(MAP-14参照) 勿論、長靴は持って来ていません。どこまでの水位か試そうと、一歩入った所で 『ズルッ』 っと足首まで入り込んでしまいました。本当に怖くて、もう止めようか・・・と、思いましたが、『スニーカーを水浸しにした上、試射場を見ずに帰る訳には行かない』 ・・・ 半分、ヤケクソになり、トンネル内を歩いて行きました・・・途中、中央付近では水カサが増し、有に30センチにはなり、ヒザ下あたりまで水が来ました。カメラバックも重たく、思うように前に進めません。勿論、真っ暗な為、頼りは出口の明かりだけです。

この時ばかりは、マジで、水の中から手が出て来て、引きズリ込まれるような妄想に駆られました。
後から聞いたのですが、このトンネルは 『戦争中の物』 で、物資を運搬する 『トロッコ用のトンネル』 だったそうです。
ここで教訓です。『試射場』 を見学に行かれる際は、服は長袖、足元は長靴、それに夕暮れ時と梅雨時期は避け、友人と行った方が、マジで安全だと思います。以上 『試射場』 までのMAPでした。お役に立てば幸いです。

この次のページでは、はいよいよ、『試射場』 をご覧頂きます。僕は基本的に史跡の撮影が趣味です。『VESPA & ヌード』 をよく撮影しておりますが、アレは食べる為、生きる為です(笑)。

今回、短時間でしたが、集中して撮影した 『試射場』 の写真をUPしております。是非、ご覧下さい。

つづく→

『大迫』 の集落に着くまでには、素敵な景色を沢山見る事が出来ます。美しい海や山、それに空の様子を楽しんで下さい。

途中、牡蠣を打つ工場、広い畑、パラダイスのような建物など、色々見る事が出来ます。なかなか面白いロケーションですよ。


古い桟橋の前には、『県道286号線』 の標識があります。この角度はズバリ 『ルート66』 風を狙ってみました(笑)。

ここから10分程度 『VESPA』 で走行すると、『大迫』 の集落に到着します。


左に 『防波堤』 を見ながら、『VESPA』 で300メートル位走ると、山の中へと登る道が出て来ます。

この部分は 『V 字路』 になっていて、右はそのまま海岸線が続きます。 (その先に行った訳ではないので、詳細は不明。)

今回の目的地に行くには、『V 路地』 を右方向へ行って下さい。山へ登るような道になっており、ここへも 『旧海軍遺跡』 の手作り看板が出ています。

ちなみに 『普通自動車は進入禁止』 と記載されています。確かに道は狭く、通行は不可能だと思います。

勿論、軽自動車は通行可能ですが、かなり狭いので、離合は難しく、Uターンもままなりません。その上、ほどなく行き止まりになるので、やはり、『VESPA』 で行くしかないですな。

『VSH』 では山登りにも最適な 『VESPA』 も製作、販売しております。ご興味のある方は、まずはご連絡下さい(笑)。


すぐに海の景気は消えて、ご覧のような山の中に入ります。一人では、少し怖いです。誰か一緒に来てもらえばよかった・・・ (マジです)


坂を下ると大きな門のお宅で行き止まりになります。ここは私有地の為、ご迷惑にならないように注意して下さい。

さすがに小回りの利く 『VESPA』 もここまで・・・この先、崖の横の細い道、『MAP-11』 方向へと歩いて行く事になります。

かなり、狭く、草が腰のあたりまで自生しており、獣道になっている為、軽装備かつ一人の僕は本当に心細かったです。


細い 『獣道』 を抜けると、今度は海岸に出ます。勿論、ここにも誰もいません・・・ 『夏なら、プライベート・ビーチだな・・・』 何て思いながらも、訪れたのは 『11月』、人っ子一人いません。もっとも、夏でも人はいないでしょうが・・・(苦笑)

この海岸の横道を200メートル位歩きます。(MAP-11 から 中央の写真 MAP-13 のトンネル方向へ)

山側には背丈より高い竹のような草が自生しており、歩けるスペースは大人一人がやっとです。何だか、草むらの中へ引きずり込まれそうな (怖い映画の見すぎ ? ) 感じがして、行こうか ? 戻ろうか ? ・・・真剣に悩みました。


何をするにも下調べが肝心です。僕は 『レストアの仕事』 に関しては、下調べや準備等、ミスが無いように完璧を目指して、最善を尽くしますが、どうも、その反動でしょうか ? それ以外の私生活はダメダメだったりします。海外で飛行機に乗り遅れた事が2回もあるし、靴下は左右違う物を履いていたりします。狙っている訳ではなく、本当にドジなのです。今回も行こうと思ったその日の午後から、ツナギを着たまま、この場所まで 2時間かけて、『VESPA』 に乗って来ました。

結果、プールのようなトンネルで水浸し・・・ ヒザ下まで水に浸かり、スニーカーは完全に水没・・・ちなみに、この 『ニューバランス』、『ロンドン』 の 『オフ・スプリングス』 で買った別注品なのに・・・悔やんでも、悔やみきれない (涙) 。